久しぶりに一気読みした漫画、「3月のライオン」。

第一話から、「あれ・・・?この場所って・・・」と思うカットがいくつか。
見覚えのある橋、見覚えのある川。
なんだろう、なんかこの場所、知ってる気がする、と胸がざわざわ。
wikipediaで調べてみたら月島・佃界隈と記載してあったので、なるほどー!とすっきり。

正直、この漫画、本筋(将棋)とそうでない部分のバランスに読み慣れるのに大変時間がかかった。
私の好みとしては、将棋8割、その他2割ぐらいでガシガシ対戦していっていただきたいところなんだけど、それ以外の話が割とボリュームあって、あぁ、こういうテンポですすんでいくのね、というのにやっと慣れたら既に3巻だったという・・・。
前作「ハチミツとクローバー」でも独特のテンポだなーと感じたけれど。
慣れたら逆に3姉妹の家のインテリアとか色々書き込んであるのが面白かったりして
新鮮といえば新鮮。
特に、5、6巻が俄然面白くて、この先が大変気になっております。

最初の頃は、ヘタレで気弱で逃げてばっかりの零が、
少しずつ色々な事を克服し、生きる姿勢を変えていく姿に、
「頑張れ!少年!」と声をかけてあげたくなります。
あと、人との付き合いについて色々と考えてしまう。
自分は零ほど、人ときちんと向き合い、近づいて接しているだろうか・・・とか。

個人的には、母性+女を併せ持つという、
男の願望を形にしたようなあかりちゃんの作る「料理」がいつも気になる。
本当に美味しそうで、「これつくってみよう」と毎回思ってしまう。
特においなりさんと野菜のお重、たまりませんでしたー!
・・・と思って今、検索してみたら実際に作っている方が沢山いました。
皆同じことを考えていらっしゃる(笑)

これからの零の戦いっぷりが、楽しみです。

JUGEMテーマ:読書

はっ、と気づいてしまう瞬間がある。

たとえばそれは電車の中。

自分の、半径5m以内の人が−全て、携帯電話を見ていた。

立っている人も、座っている人も、年齢に関係なく、誰もが皆、自分の携帯電話の画面を注視しているのだった。勿論、私も。

もし、この風景を宇宙人が見たとしたら、
「この生物にとってあの小さな機械はとても大事な役割なのだな」と思うだろう。
そういう意味では若干SF的な風景だと言えなくもない。


現代の携帯電話が、通信機能だけでなく、あらゆる機能を備えていることも要因のひとつではあると思う。
きっと私の周囲にいた人々は、携帯電話を使って、メールを読んだり、ゲームをしたり、小説を読んだり、インターネットをしたり、それぞれ違うことをしていたに違いない。
ただ単にひとつの機械が多機能だから、一見皆が同じことをしている姿に見えるだけで、本当は違うのだ。

だけど、そうはわかっていても、それは奇妙で少し殺伐としている風景なのだった。

考えてみれば、今まで色々な国を旅してきたけれど、これほど、至るところで暇さえあれば、携帯電話を取り出して眺めている国民にお目にかかったことは一度もなかった。都会でも、田舎でも。

どうしてなんだろう。
そして、こんな風景を、現代の子供は当然のものとして捉えて育ってゆくのだなあ、
と思ったら、むらむらと自分に腹が立ってきた。

それ以来、私は人前でむやみに携帯電話を使うのをやめた。

その代わりに、必ずバッグには本を忍ばせて、空いた時間は読書するようになった。
携帯電話で小説を読むのと本では何が違うのか、と聞かれたらうまく答えられないけれど、
携帯電話をずっと見ている姿は―そう、詩的ではないのだった。
趣きというものがないのだった。美しくないのだった。

そして、皆がこぞって携帯電話を見つめているという風景を形作る一部に、私は、なりたくはない。
そう、気付いたのだった。


わ。すっかり前置きが長くなってしまった。

先日読んだ椎名誠のエッセイに、

都市に生活している、ということは毎日否応もなく目と神経に強烈に飛び込んでくる強引で堅苦しい造形図形とおびただしい色の刺激の連続攻撃に晒されている、ということである

という「視覚の慣れ」についての一文があって、なるほどなあ、と思ったのですよ。
それで内容は少し違えど、前述のようなことを思いだしたのだった。

椎名誠は西太平洋のトロブリアンド諸島という小さな島で原始的な生活をした後、
帰国して全てが刺激的に見えた、と書いている。
以下、抜粋。

その島で毎日ぼくが見ていたのは、海の波、空いく雲、風にそよぐ葉や花、熟れた果実、のそのそいくヘビ、蜘蛛の下降、ヒステリックな鶏、満点の星、明るい月、焚き火の炎・・・。
ぼくが毎日見ていたのはすべて自然のモノであった。すべて自然の造形物であった。
そういう不定型でやわらかくてぐにゃぐにゃしたものを毎日見ていた。

そうして久しぶりに帰ってきたこところはその反対にきっちりした角度や円や果てしなく正確な直線や同じ形の連続やシンメトリーの図形やそれにかぶさるおびただしい数の“文字という図形”が複雑に重なり合い干渉しあい錯綜しあったもの凄い世界であった。

それまでぼくが見ていた自然の造形物の世界からいうと、文明世界の造形物というのはあまりにも目に強く厳しく強引で強烈である。目もそうだしそれにつながる神経がくたくたになる。

ああ、そうなのか。とそのときぼくは理解した。
ヒトはどうして旅に出たがるのであるか。そしてぼくはどうして旅ばかりしているのであるか―。

なるほどなあ、共感できるなあ。
旅に出るということは、文明社会が置き去りにしてきたもの、
きっとそういうものを無意識に取り戻しに、そして目と心を休めに行っているのかも。

勿論、旅に出なくたって、毎日の生活の中に、自然は存在している。
文明の力によって、本来の力強さは少し影をひそめているように見えるかもしれないけれど、その自然の美しさに気付くことが出来る目を失わなければ、それは変わらず私達の傍にある。

慣れとは恐ろしい。いつのまにか感覚が麻痺していってしまう。
時には違った視点で世界を、風景を見ることのできる柔軟さを失わないようにしたい。
この本を読んで、強く思ったのは、そういうこと。

評価:
椎名 誠
角川書店(角川グループパブリッシング)
¥ 580
(2010-11-25)

謎が好きだ。

スケールの大小に関わらず「どうしてなんだろう?」という疑問には、シンプルな魅力がある。

更に言うなら、ミステリなら安楽椅子探偵ものが好きだ。

実際に現地へ赴くことなく、推理を重ねて鮮やかに謎を解決していく過程は、
エレガントで浪漫がある。
架空の人物だからこそ可能なのは解っているけど、だからこそ小気味よい。

というわけで、最近読んだ本の中で面白かった二冊。

1. ウォッチメイカー ジェフリー ディーヴァー

数年前の事故により、四肢麻痺になった犯罪学者、リンカーン・ライム。

ここだけ読んで「あれ?なんかこれ映画になってなかったっけ」と思ったら、
そう、「ボーン・コレクター」がこのシリーズの第1作目だったんですな。
ちなみに、この「ウォッチメイカー」は第7作目。
いきなりここから読んでも大丈夫かなあ、と思いましたが、そんな心配も杞憂に終わりました。

各レビューを読んでみると、
どんでん返しに次ぐどんでん返し、ってのがこの本のウリみたいなんですが、
どっちかというと私は「背後から狙う犯罪者の視線」に、ず〜っとハラハラ・・・。
「志村!後ろ!」状態が続くんですね〜(古)

読んでてとても楽しかった一冊でした。
このシリーズ、他作は未読なので、最初から読んでみようと思います。

2.黒後家蜘蛛の会 アイザック・アシモフ

昔からの友人同士の男性6人が集まって、月に一度の夕食会。
「黒後家蜘蛛の会=ブラックウィドワーズ」と称するその会に招かれるゲストから、
様々な問題・難題・謎が持ち込まれる。

各々の推論を展開するも、最後に解決するのは、その夕食会の給仕のヘンリー。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
と、控え目に口をはさむところが、毎度いいですね。

各編にその作品へのあとがきがついていて、
着想のヒントなどがあるのも、この作品への作者の愛着を感じます。

あるあとがきで

私はかねがね、小説に登場する探偵たちがいとも易々と、決して破れることのない論理の網を張りめぐらす様がどうもご都合主義に思えてならなかった。現実の場面ではどこかに必ず大きな穴があるのではなかろうかという気がしてならなかったのだ。

とあるように、給仕のヘンリーが導き出す「真実」は、非常に単純で現実的なものです。
でも、読んでいると意外にこの答えには気づかないもんなんですねー。不思議!


短編集なので、毎日少しずつ読めるところも嬉しい。水戸黄門的な安心感。
このシリーズも、5まであるらしいので、少しずつ楽しみに読もうと思います。

評価:
ジェフリー ディーヴァー
文藝春秋
¥ 770
(2010-11-10)

評価:
ジェフリー ディーヴァー
文藝春秋
¥ 720
(2010-11-10)

評価:
パスカル・ボニファス,ユベール・ヴェドリーヌ
ディスカヴァー・トゥエンティワン
¥ 1,785
(2011-04-16)

久しぶりに「これは沢山の人に読んでほしい」と思った。

「世界情勢」という単語からは、堅苦しいイメージを受けるけど、全然そんなことはない。
むしろ、とても解りやすい。
地図のおかげで具体的にそれがどこの場所か解るから。

この本は、世界各地で起こっている(または起こってきた)状況を地図で紹介している。

序盤の部分で共感したところは、2箇所。(青字は引用部分)
著者のスタンス:読者が自分自身の見解を持つことができるように、さまざまなテーマを提示したいと考えてきた。
また、よくありがちな欧米中心主義やヨーロッパ中心主義に満足したくなかった。
そうした視点は現に世界で起きている激動を認識する妨げになるからだ。

彼らがこの本を作るにあたって気をつけていたこと:
提供する情報と説明の量は多すぎないこと。
そして、読者をうんざりさせたり、混乱させたり、不安にさせたりせずに、注意を喚起すること。

これって、情報を提供する側の心構えとして、とても大事なことだと思う。
特に、今みたいなご時勢には。

グローバル化したこの世界において、何が起こっているのか、そして何が衝突しているのか。ひとつの国に肩入れすることなく、様々な情報を載せてくれている。
それは、第4章の目次を読んだだけで、一目瞭然だ。

米国から見た世界、フランスから見た世界、インドから見た世界、南アフリカから見た世界、ベルギーから見た世界、トルコから見た世界、韓国から見た世界、ロシアから見た世界、
地中海諸国から見た世界、マグレブから見た世界、イスラム主義者から見た世界・・・etc.
勿論、日本から見た世界、も紹介されている。

他国と接するにあたって、私達は無意識のうちに「日本」を中心として世界を眺めがちだ。

しかし、ひとつの物事は多面的であること。
様々な事象が絡み合って衝突が起こっていること。
辿ってきた歴史が国の在り方、世界に対する目線に大きく関係していること。
自分の国では当然のことでも、他の国では異常だと見做される可能性があること。
「正義」は、その国々で全く違う意味合いを持つということ。

これらのことを、忘れてはいけないのだと思う。
他者の気持ちになって考えることは、人対人でも、国対国でも、とても重要だ。
しかし、更に重要なのは、「わかりあえない」と感じた他者と共存していく道を模索することだと強く思う。

沢山の情報が指し示す道は、どれなのだろう?
そして、思惑の違う国と国が行きつく先はどこ?
そう思いながら、読むと、とても面白い。お勧めです!

あの大地震から10日が経ちました。
被害の悲惨さにも、勿論ショックを受けているけれど、
今回のことで実際に一番驚いたことは、情報の拡散のスピードでした。

正しいことも正しくないことも確証を得ないまま恐ろしいスピードで拡散してゆく。
その根底には「恐れ」があるとつくづく実感しました。

そして、思い出した本がこれ。「ブラック・スワン」

ブラック・スワンとは

予測できないこと
非常に強い衝撃を与えること
そして、いったん起こってしまうと、いかにもそれらしい説明がでっち上げられ、実際よりも偶然には見えなくなったり、あらかじめわかっていたように思えること

その中に、こんな一文があります。

私達は講釈が好きだ。私達は要約するのが好きで、単純化するのが好きだ。
ものごとの次元を落とすのが好きなのである。

私はそれを、「講釈の誤り」と呼んでいる。
この誤りが起こるのは、私達が深読みに弱く、生の真実よりも手頃な大きさにまとまったお話のほうが好きだからだ。そのおかげで、私達の頭の中に世界はひどく歪んで映る。
稀な事象に関してはとくにひどい。

講釈の誤りは、連なった事実を見ると、何かの説明を織り込まずにはいられない私達の習性に呼び名をつけたものだ。
一連の事実に論理的なつながり、あるいは関係を示す矢印を無理やり当てはめることと言ってもいい。説明をすれば事実同志を結びつけることができる。
そうすれば事実がずっと簡単に覚えられるし、わかりやすくなる。

私達が道を踏み誤るのは、この性質のせいでわかった気になるときだ。

また、著者ナシーム・ニコラス・タレブはこうも書いています。

異常な事態が起こったことにする。普通の仕組みや私達の科学の体系の外にある結果が出た、ということだ。予測は不可能だったのだから、自分のせいじゃない。あれは黒い白鳥だった。こういう事件は外生的で、科学で太刀打ちできないところからやってくるのだ。ひょっとすると、とてもとても低い確率でしか起こらない事象だったのかもしれない。
1000年に一度の洪水とか。100年に一度の危機とか。

こうした例であらわになる「専門家」の一般的な欠陥を詳しく見ていこう。

彼らは不公平な勝負をしている。
自分がたまたま当たったときは、自分はよくわかっているからだ、自分には能力があるからだと言う。自分が間違ったときは、異常なことが起こったからだと言って状況のせいにするか、もっと悪くすると、自分が間違っていたことさえわからずに、また講釈をたれてはしたり顔をする。
自分がちゃんとわかっていなかったんだとは、なかなか認めない。
でも、こういう持っていき方は、私達のありとあらゆる営みに現れる。
私達の中の何かが、自尊心を守るように働いているのだ。

今でいうなら、福島の原発事故について、
専門家が話すこと、そして世論は、どうなっているでしょうか。
単純化して物事を見ようと自らバイアスをかけていないでしょうか。
「ありえないことなんて、ありえない」、そして「よくわからない」事実を認めて発言している人は、全体の何割いるでしょうか。

こういう時だからこそ、未読の方に強くお勧めします、「ブラック・スワン」。

評価:
ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社
¥ 1,890
(2009-06-19)


PR

Calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM